F 顕本寺

 自栄山境智堂と称す日蓮宗のお寺です。もとは天台宗で大泉寺といい、今の三の丸付近にありました。室町時代末に日蓮宗に改宗、慶長の町割りで現在地へ移転しました。

 境内墓地には「水谷九左衛門光勝(四日市代官・寛永7年=1630没)」(市指定文化財)、「吉村叉右衛門宣充(のぶみつ桑名藩家老、慶安3年=1650没)(市指定文化財)」や桑名藩重役であった服部半歳正啓(文政8年=1825没)などの墓があります。

 建物は戦災で焼失。のち再建されました。

日蓮上人銅像
 昭和14年に建立されました。施主は重い病に冒された若い信者で、当山で修業ののち快癒し、鋳物師となり、3年の歳月をかけて寄進したことが台座に記されています。戦災に遭い本堂など全焼しましたがこの像は無傷でした。
水谷九左衛門光勝墓(市指定文化財)
 光勝は徳川家康の家臣で、本能寺の変の際、家康が堺から逃れて伊賀越えをし、伊勢から三河へ渡海した折の案内役を務めたといわれています。その後、四日市代官、名古屋築城の作事奉行・山田代官などを歴任しました。墓は生前に造られたもので、向かって右端の五輪塔が光勝、中央が光勝の妻のもので、共に元禄4年(1618)の銘があります。左端の墓は、寛永5年(1628)で「浄智院」とありますが、不詳です。本堂裏にあります。